社会的加害とその対策〜第1回:咳払いと鼻すすり〜

1 社会的加害と防衛の定義

まず、タイトルの定義について説明する。ここでは、社会的加害とは、他者への加害であることは確かな行動のことを指す。そして、対策とは、社会的加害に対して自分の身を守ることを指す。

2 連載の構成

あなたは自分の内心を人に見られていると思ったことはないだろうか。私はある。直接的に言われたわけではないのだが、学生時代の私の好きな人はバレバレだっただろう。目線、表情、仕草。こういうのを見ている人は見ている。これで嘲笑されるくらいならいいが、自分を見透かした他者にコントロールされ、人生の主導権を握られることだってある。

これは大部分の人にとって嫌だろう。もちろん、被支配欲があることは否定しないが、自分の人生くらい自分の支配下に置きたいと思うのが人の性(さが)だと思う。

そこで、本連載では、あらゆる人間を数年観察する中で私が気づいた「人の癖」(社会的加害の可能性もある。)を明らかにし、そこからどのような「内心を推察できるか」を説明していく。なお、繰り返しになるが、ここに科学的根拠などはない。私は科学者ではなく、ただ単に、人間観察する中で主観的に気づいたこと・考えたことを伝えることに徹する。

次に、このような内心の推測をしているであろう人間はごまんといるので、社会的加害に対する対策を伝える。ここが本連載の肝であり、私がこの連載を書くに至った動機だ。人は自身の内心のセキュリティが甘過ぎる。スマートフォンの普及によってほぼ無意識に外界の事象に対して反応しており、生理的反応や感情の動きが丸見えである。このようなセキュリティの甘さを私は看過できない。そこで、本連載で私が考え得る対策を伝えていく。

第1回は咳払いと鼻すすりという「人の癖」(≒社会的加害)について説明する。

  • 咳払い

咳払いをする人間は最近多い。本連載を執筆しているのが冬だからなのかもしれないが、咳払いのタイミングを見ると興味深いことに気がつく。

また、カフェで新しく人が入ってくるたびに咳払いをする人もいる。意識的なのか無意識的なのか知らないが、このような人は臆病なのだろうと私は考えている。本当に勇気がある人ならどのような人間が入って来ようと、静かに席に座り、自分のやるべきことに集中しているだろう。

咳払いは、私の考察では、咳「祓い」という漢字がかつてあてがわれていた。大きな音を出して周りを威圧する効果は確かにあるかもしれない。ただ、それを繰り返した先に待っているのはなんだろうかと考えてほしい。喉を痛めるだけではないだろうか。

なお、ただ単に風邪をひいている人を責める趣旨ではない。風邪をひいている人も外に出なくてはいけないこともある。お大事に。

  • 鼻啜り

鼻を啜るのも咳払いと似ているので、咳払いの箇所を参考にしてほしいが、一点、異なる部分がある。

それは、「祓う」であったり、周りを威圧する効果がほぼない。むしろ、鼻を啜るのは、自分の存在に気づいてほしいという内心の表れだと考えている。誰だって音がすればそちらの方向を見る。人は動物的な部分も強い。人が好意を持っている人に対して「こっちを見て」という意味で鼻を啜ることはある。風邪・花粉症の人はお大事に。

第1回は以上となる。第2回は近日中に公開する。

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